2020/03/02
価数の異なるイオンの周辺原子の並び方を 区別できる新しい放射光X線利用技術
【ポイント】
- 物質の性質や機能性は構成元素のイオン価数など電子状態に大きく依存しますが、イオン価数を区別して原子構造を解析する手段はこれまでありませんでした。
- 今回、電子状態(価数)が異なるイオンのまわりの原子の並び方を明確に区別することができる新しい技術を開発しました。
- 本技術を用いて、価数の変化がその機能に大きく関わっていると考えられる、光合成タンパク質の機能の解明等に大きく期待できます。
【概要説明】
熊本大学、名古屋工業大学、奈良先端科学技術大学院大学、広島大学、高輝度光科学研究センター(JASRI)ほかの研究グループは、放射光X線を利用した蛍光X線ホログラフィー(XFH)(注1)を用いた新たな観測技術を開発しました。本手法により、温度変化によってイッテルビウム(Yb)のイオン価数が3価から2価に急激に変化することが知られている価数転移物質YbInCu4を対象に実験したところ、3価および2価のYbイオンのまわりの原子の並び方をその価数ごとに区別して観測することに成功しました。
XFH法は、放射光X線を利用して特定の元素のまわりのミクロな原子配列を観測する手法として、近年急速に普及してきました。この手法では、入射するX線のエネルギーを適切に選ぶことにより、同じ元素でも価数の異なるイオンのまわりの原子配列を個別に観測できるという、価数選択性(注2)を活用した測定が原理的に可能であると推測されます。研究グループはこの点に着目し、実験的に証明する試みを行ってきました。価数選択性を有する構造解析は、一般的な手法であるX線や中性子の回折(注3)やX線吸収微細構造分光(XAFS)(注4)を用いる限り、たとえ強度の著しく高い放射光X線を用いても不可能でした。
今回の研究は、イオン価数が変化する性質を持つ価数転移物質YbInCu4を研究対象とし、新しいデータ解析手法の一つであるスパース・モデリング(注5)を導入して、価数の違いによって周辺原子の並び方が大きく異なることを3次元原子イメージとして実験的に初めて明らかにしました。この手法は、今後多くの機能性材料の価数に関する物性の理解に新たな指針を与えるものとして期待されます。例えば、価数の変化がその機能に大きく関わっていると推察される、光合成タンパク質(注6)の機能の解明に大きく貢献すると期待されます。
本研究は、文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(B)、新学術領域研究「3D活性サイト科学」および「疎性モデリング」、ドイツ研究振興協会メルカトル協会の支援を受けて実施されたもので、科学雑誌「The Journal of Physical Society of Japan」に令和2年3月2日(日本時間午前10時)掲載されました。
【背景】
現代社会のテクノロジーは、スマートフォンに象徴されるように、半導体や電池材料などの高性能の材料に支えられています。より優れた材料が常に求められていますが、高性能材料の開発には原子レベルでの材料の構造の理解が有効です。現在、物質を形成する原子を観測する主流の手法はX線回折法や電子顕微鏡法で、これらの方法によりその物質がどんな原子配列から成っているかが解明されてきました。
一方で物質の機能性は不純物にとどまらず、有機材料に含まれる元素の価数など電子状態に大きく依存しますが、このような電子状態を区別できる原子構造解明手段はこれまでにありませんでした。
【研究の内容】
蛍光を不純物の発見などに適用することはよく行われています。例えば、サスペンス・ドラマでよく出てくるルミノール反応は、特殊な試薬を血痕にふりかけると、その部分のみが蛍光を発するために、そこに血痕があることを明らかにすることができます。また、不純物の種類と濃度を、X線を照射することにより観察する蛍光X線分析法という方法があり、この方法は放射光を用いた犯罪捜査、例えば和歌山カレー事件などで話題になりました。
XFH法は、蛍光X線分析法をさらに発展させた方法で、蛍光X線の強度がまわりの原子の並び方によってわずかに変化することを利用しています。したがって、ある原子のまわりの原子が決まった位置に常に存在していれば、まわりの四角形の原子イメージを明瞭に得ることができますし、それ以遠の原子の列についても明瞭に再現することができます。これには回折実験で必須条件である、不純物原子が長距離にわたって決まった位置にあること(並進対称性)は不要ですので、ある決まったサイトではあるけれどもランダムに存在する不純物の位置の解明には極めて有効な手段です。
今回の成果の大きなポイントは、照射するX線のエネルギーを適切に選ぶことにより、同じ元素であっても価数の異なるイオンを選択して蛍光X線を放出させることを利用したことです。ある元素の深いエネルギー位置(内殻)にある電子にある値を超えるエネルギーのX線を照射すると、その電子は原子の外部に放出されます。このしきいとなるエネルギーを吸収端と呼び、そのエネルギーは各元素に固有の値を持ちます。吸収端付近のX線吸収スペクトルには、その元素の持つピークや肩などの特徴的な形が存在し、それは価数などの電子状態と大きく関わっています。したがって、その特徴的なエネルギーのX線を照射すれば、狙った電子状態(価数)を持つ原子からだけ蛍光X線が発生するため、そのまわりの原子の並び方のみが3次元原子イメージとして再生されます。
今回の研究では、この手法の有効性を実証するために、価数が変化することがわかっている価数転移物質YbInCu4を研究対象とし、大型放射光施設SPring-8(注7)のBL39XUビームラインを用いて、3価と2価の価数の違いによる原子の並び方が大きく異なることを、3次元原子イメージとして実験的に初めて明らかにしました。
【成果】
YbInCu4は絶対温度42 K付近で価数が変化します。図1にYbInCu4の、低温相(7 K:赤)および高温相(300 K:黒)でのYb 内殻(LIII)吸収端付近のX線吸収スペクトルを示します。温度による大きな違いは、入射X線エネルギー値8.939 keV付近に低温では大きな「肩」があることで、これは通常の3価のYb3+に加えて2価のYb2+がおよそ42 Kで20%程度現れることを反映しています。
図2にXFHによって得られたYb原子のまわりの原子像を示します。入射X線エネルギーが8.947 keVで高温相の300 Kでは(a)のような原子イメージが得られます。矢印で示したように面心立方格子状の原子配列が観測されます。温度を7 Kまで下げると、より広い範囲まで面心立方格子が(b)のように観測されます。ここではYb2+とYb3+の両方のイオンが混在しますが、Yb3+の割合が75%を超えるので、主としてYb3+のまわりの原子イメージを示していることになります。ところが入射X線エネルギーを8 eVだけ下げた8.939 keVでYb2+だけを励起しますと、(c)のように原子像がかなり複雑になります。(d)および(e)はそれぞれ、第2および第3近接Yb原子イメージを拡大したものですが、いずれも立体十字の形をはっきりと示しています。また、第1近接Yb原子は非常に弱くしか観測されませんでした。
8.9547 keVの入射X線を用いたときの(a) 300 Kおよび(b) 7Kの結果、および8.939 keVの入射X線を用いたときの(c) 7Kのもの。(d)、(c)はそれぞれ第2および第3配位原子の拡大図。
ここで重要なことはYb2+イオンはYb3+イオンと比較して原子半径がおよそ17%も大きいことですが、価数転移を起こしても格子の長さは約0.15%しか膨らみません。したがって、Yb2+イオンは、主としてYb3+イオンからd来上がっている結晶格子の中で随分窮屈な状態になっていると思われます。
図3は、これらの実験結果を説明するYb2+イオンのまわりの原子配列を模式的に示しています。第2および第3近接Yb原子それぞれが立体十字の原子分布をしていると考えるよりは、中心にあって蛍光X線を放出するYb2+イオンが、そのような位置分布をしていると考える方が自然です。また、このYb2+イオンは第1近接原子を外部に押し出していると考えられますので、原子位置のゆらぎが大きく、非常に弱くしか観測されないのではと考えられます。
図7 光合成タンパク質PSIIの結晶構造(左)とMnクラスター(右)
(注7)大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す国立研究開発法人理化学研究所の施設で、利用者支援等は公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われています。
【論文情報】
論文名:Valence-Selective Local Atomic Structures on an YbInCu4 Valence Transition Material by X-Ray Fluorescence Holography
著者:Shinya Hosokawa, Naohisa Happo, Kouichi Hayashi, Koji Kimura, Tomohiro Matsushita, Jens Rüdiger Stellhorn, Masaichiro Mizumaki, Motohiro Suzuki, Hitoshi Sato, and Koichi Hiraoka
掲載誌:The Journal of Physical Society of Japan
doi:10.7566/JPSJ.89.034603
URL:https://journals.jps.jp/doi/full/10.7566/JPSJ.89.034603
【お問い合わせ先】
<研究内容に関すること>
- 熊本大学大学院先端科学研究部(理学系)
担当:細川伸也
電話:096-342-3353
e-mail:shhosokawa[at]kumamoto-u.ac.jp - SPring-8/SACLAに関する事
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
電話:0791-58-2785
e-mail:kouhou[at]spring8.or.jp
<報道に関すること>
- 熊本大学総務部総務課広報戦略室
電話:096-342-3269
e-mail:sos-koho[at]jimu.kumamoto-u.ac.jp - 名古屋工業大学企画広報課広報係
電話:052-735-5316
e-mail:pr[at]adm.nitech.ac.jp - 広島大学 財務・総務室広報部 広報グループ
電話:082-424-4518
e-mail:koho[at]office.hiroshima-u.ac.jp - 奈良先端科学技術大学院大学企画・教育部 企画総務課 広報渉外係
電話:0743-72-5026
e-mail:s-kikaku[at]ad.naist.jp