2010/04/12
【概要】
奈良先端科学技術大学院大学(学長:磯貝彰)物質創成科学研究科バイオミメティック科学講座の池田篤志准教授らのグループは、ナノテク ノロジー(超微細技術)の素材として期待されるサッカーボール状の分子C60(フラーレン、球状炭素分子)を蛍光色素とともにリポソームという人工細胞膜 のカプセルに閉じ込めて、光線力学治療に使われている皮膚透過性の高い長波長領域(600~700 nm)の光を照射してがん細胞を死滅させることに成功した。C60自身は光エネルギーを効率よく血液中に溶けこんだ酸素に受け渡し、がん細胞を死滅させる 活性酸素を発生させる能力は高いが、残念ながら光エネルギーの吸収能力が非常に低い。そこで緑色植物の光合成で葉緑体の特定の色素が太陽光エネルギーをア ンテナのようにキャッチする仕組みをまねて、人工細胞膜内に光エネルギーを吸収する能力の高い蛍光色素を近くに共存させることによって、間接的に光エネル ギーをC60に移動させる方法を考案しこの問題点を解決した。
光合成のシステムを模倣した本システムは、緑色植物の葉が秋になると朽ち果て光合 成ができなくなるのと同様、C60を封じ込め水溶化しているリポソームが崩壊すると光活性(光毒性)が消える。このため、従来の光増感剤で問題となってい る手術後も光に反応しやすくなる"光線過敏症"を解決する道を拓くものと期待される。この光線過敏症の問題を解決できれば、光線力学的療法などがん治療に おいて、術後暗所にこもらなくてはならないという患者の精神的な負担を軽減できる可能性がある。
この成果は、平成22年4月8日(木)付けでアメリカ化学会誌(ACS Medicinal Chemistry Letters)にオンラインで掲載されております。
【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】
奈良先端科学技術大学院大学 物質創成科学研究科 バイオミメティック科学講座
准教授 池田 篤志
TEL 0743-72-6091 FAX 0743-72-6099
E-mail aikeda@ms.naist.jp
【解説】
-内容-
開発したのは「光線力学治療法」と呼ばれるがん治療法で用いられる光増感剤の効果を高めるものである。光線力学治療法では、光増感剤を静脈から投与して患 部に集積させた後、光ファイバーなどで光を照射する。光により励起された光増感剤がそのエネルギーを溶存酸素に渡すことで活性酸素を発生してがん細胞を破 壊する。
従来の光増感剤は光エネルギーを吸収する役割とそのエネルギーを溶存酸素に渡す役割を一つの分子が担っていた。C60を光増感剤として用 いる場合、後者の活性酸素を発生させる能力が非常に高いことが知られていた(有機溶媒中、量子収率100%)が、前者の光を吸収する能力が極端に低かっ た。そこで、池田准教授らは光を吸収する部分として緑色植物の光合成でいう"光アンテナ"を導入することにした。この光アンテナとなる蛍光色素と活性部位 となるC60を、リポソームという人工細胞膜のカプセルに高濃度で封じ込めた(図1)。このリポソーム水溶液に光を照射すると、まず蛍光色素が 600~700 nm の波長の光を吸収し、そのエネルギーをいったんC60に渡し、さらにC60が溶存酸素にエネルギーを伝搬し活性酸素(一重項酸素)を発生させることがわ かった。発生した活性酸素はがん細胞を死滅することが示された。この光細胞毒性は従来の光増感剤・フォトフリンと同等であることが示された。
光 アンテナを利用する利点は、C60の可視光領域の吸収が小さいという欠点を補うのみではない。光アンテナとして利用する蛍光色素を変えることによって、吸 収極大(その化合物が最も光を吸収できる波長)を変化させることができる。そのため、病院に既に導入されているレーザー照射装置の波長に合った色素を選択 でき、光増感剤に合ったレーザー装置を新たに準備する必要がない。
一方、蛍光色素のみ、もしくはC60のみをリポソームに封入したものではそれ ぞれ活性酸素がほとんど発生せず、がん細胞に対する光毒性がないことが示された(図2)。この理由は、それぞれ蛍光色素が光励起されるものの、直接溶存酸 素にそのエネルギーを伝搬できないこと、およびC60が照射波長の光を吸収できないため励起されないことによる。以上の結果は、リポソームが崩壊し、蛍光 色素とC60が離れるとエネルギー移動が起こらなくなるため、毒性が消えることを意味する。つまり、従来の光増感剤では光過敏症を避けるためには、光増感 剤が代謝されるまで患者の方が暗所にいる必要があったが、本系ではリポソームが崩壊すれば代謝を待たずに光毒性がなくなるため光過敏症の問題を解決できる 可能性があることを示している。実際に、蛍光色素とC60を別々のリポソームに封入して混合した際には光細胞毒性がないことが示された。
今 後の展開 - フラーレンと蛍光色素の組み合わせの変更、リポソーム中でのそれぞれの最適濃度を決定し、さらなる活性向上を目指す。また、任意にリポソー ムを崩壊できるシステムを現在研究しており、これが実現できればがん治療後すぐに光増感剤の光毒性を消去できることになるものと期待される。最終的には、 マウス個体実験を経て、がん治療薬としての評価を行なっていく予定である。
解説
●フラーレンとは
炭素のみから なる閉殻構造を持ち、ダイヤモンド、グラファイトに次ぐ第3の炭素同素体である。直径約1ナノメートル。フラーレンには炭素60個からなるC60以外に も、C70, C76, C78, C82, などが含まれ、これらは市販されている。C60の発見により1996年に米英の3人の化学者(スモーリー、クロトー、カール)がノーベル賞を受賞してい る。最近では高校の化学の教科書でも紹介され、大変有名となっている。
●光線力学治療法(PDT)とは
がん治療法として多様な 方法が用いられてきているが、その一つとして光線力学治療法(PDT)が注目されている。PDTとは、ポルフィリン誘導体などの光増感剤が、腫瘍組織・新 生血管へ特異的に集積し、一重項酸素などの活性酸素が強い細胞破壊の効果があることを利用した治療法である。この方法では、可視光を照射したところのみ細 胞破壊が起こるため、正常細胞に大きな障害を与えることが無く、比較的低エネルギーの可視光を用いるため、人体への影響が少ないとされている。現在は、 フォトフリンやレザフィリンと呼ばれるPDT薬剤が用いられている。
PDTは肺、食道、胃、子宮頚部の早期がんの治療のみならず、眼科疾患である加齢黄班変性に対する治療法としても臨床的に用いられている。
●光線過敏症とは
本来は、長く日光などに当たると、皮膚が炎症などを起こすことをいう。ここで言う光線過敏症は、光増感剤が皮膚などに残り、そこに強い光が当たると活性酸 素が発生して皮膚の炎症が起こることを指す。そのため、現在の光線力学治療においては光増感剤が代謝されるまで患者は1週間程度暗所にいる必要がある。光 線力学治療は副作用が少ないのが大きな特徴であるが、この光線過敏症が副作用として問題となっている。
●光アンテナとは
緑色植 物の葉で行われる光合成は、光のエネルギーを使い、水と二酸化炭素(CO2)から、糖やデンプンなどの炭水化物を生産している。ここで、集光アンテナとな るクロロフィルがその吸収波長(主に青や赤の領域)に合った波長の光(光エネルギー)を吸収し、そのエネルギーを光合成中心に受け渡すことで光合成の反応 がスタートする。本系では、このクロロフィルの代わりに蛍光色素を用いることで、効率よく長波長の光(光エネルギー)を集光している。