2011/06/01
【概要】
生物の器官を構成する細胞群は、球状に集まったり、層状に重なったり、立体的に配置されることで適切に機能する。しかし、どのような仕 組みで効率的に細胞の配置が決まるのかについては謎であった。奈良先端科学技術大学院大学(学長:磯貝 彰) バイオサイエンス研究科 遺伝子発現制御研究室の松井貴輝助教の研究グループは、小型の熱帯魚「ゼブラフィッシュ」をモデル動物として用い、器官の立体構造が形成される際、細胞群 の自律的な集合が"ひきがね"になることを世界で初めて明らかにした。この成果は、5月31日に米国科学アカデミー紀要(Proc. Natl. Acad. Sci. USA)の速報版に掲載された。今後、本研究で明らかにしたメカニズムは、ES細胞やiPS細胞から器官を創成する再生医療の技術開発にも役立つと期待さ れている。
生物の器官の配置は体内に効率よく収めるため、左右対称ではない。ゼブラフィッシュの左右非対称の配置を決める器官であるクッペル胞 (KV; Kupffer's vesicle)は、発生の初期にKVの前駆細胞が細胞集団(クラスター)を形成することにより発生する。このクラスター形成のメカニズムは知られていな かったが、松井助教は繊維芽細胞増殖因子(FGF)を活性化する正の制御因子「Canopy1」がKV前駆細胞の中でFGFシグナルを調節していることを 発見した。さらに詳細な機能解析を行った結果、FGFの働きを推進するCanopy1を介したポジティブフィードバックループが、細胞同士を接着して集団 をつくる因子「カドヘリン1(Cadherin1)」の産生を促し、KV前駆細胞のクラスター形成を自律的に引き起こすことが明らかになった。
また、FGFを働かせるシグナルを遮断したゼブラフィッシュ胚では、KV前駆細胞のクラスター形成が正確にできなくなることから、KVの形成不全や、器官 配置における左右非対称性の異常が引き起こされることが分かった。こうしたことから、KV前駆細胞のクラスター形成がKVの正確な器官形成や、正常な機能 の獲得のために不可欠なプロセスであることを裏付けた。
【解説】
動物の発生では、分化に伴い細胞が動くことで近づいたり離れた りして細胞の集団をつくります。しかし、細胞が集合し、その集合体を維持しようとする場合には、個々の細胞が勝手に移動してしまうと都合が悪くなります。 したがって、細胞は、いつ動き、だれと結合し、その後、動かなくなるのか等を遺伝子に組み込まれたプログラムによって適宜判断していると考えられます。
今回我々が着目したKV前駆細胞は、FGFシグナルが接着因子カドヘリン1の産生を誘導することでクラスターがバラバラにならず、構造を維持しています (図1)。これを可能にするために、KV前駆細胞はCanopy1によるポジティブフィードバックループを使用している訳です(図1)。この回路は一度オ ンになると、入力(FGF)がある限りずっとシグナルを活性化しつづけることができるので、安定してカドヘリン1を供給することができます。細胞のクラス ターを維持するためのとても巧妙なシステムであることがよく分かります。
左脳は論理的、右脳は直感的思考を行うなど、生物のからだに左右差があ ることは良く知られています。実は、この左右差は、発生過程に厳密に制御されています。ゼブラフィッシュのKV細胞には、シリアと呼ばれる短い繊毛があり ます(図2、緑色で染色されたもの)。そのシリアを反時計まわりに回転させることで、ノード流と呼ばれる水流をつくり、その流れに乗って右と左にシグナル の差を作り出しているのです。
FGFシグナルを阻害したゼブラフィッシュ胚では、KV前駆細胞のクラスターが分散してしまい(図2右)、KVの 形成不全、シリアの形成異常が引き起こされます(図3右上)。この状況では、ノード流が発生せずに、左右差情報の伝達がかく乱されるために、心臓のループ が逆になるなどの異常が観察されています(図3右下)。この結果から、KV前駆細胞のクラスター形成は、その後に続く、KVの立体構造の構築と機能の獲得 に重要な役割があることが示唆されます。
なお、この研究は、理化学研究所・岡本 仁チームリーダー、平林義雄チームリーダーの研究グループとの共同研究です。また本研究は、科学研究費補助金(若手研究B、特定領域研究 ゲノム、新学術領域 動く細胞と秩序)、および、中島記念国際交流財団 日本人若手研究者研究助成金によるサポートで行われました。
【用語説明】
「ゼブラフィッシュ」
体に縞模様がある体長2センチほどの熱帯魚。卵は透明で発生が早いため、脊椎動物の発生を研究するモデル動物としてよく用いられている。
「クッペル胞」
魚類の尾部にある球状の器官。シリアを回転させてノード流を発生させ、器官の左右非対称性な配置を決める情報を発信している。
「FGF」
繊維芽細胞で産生され、細胞の増殖を促すことから命名された細胞の外へ分泌されるタンパク質。細胞膜上にあるFGF受容体に結合すると、細胞内にシグナルが伝達される。
「Canopy1」
理化学研究所 岡本 仁チームリーダーのグループによって発見されたFGFのシグナルを活性化する細胞内タンパク質。
「カドヘリン1」
理化学研究所 竹市雅俊グループディレクターによって発見された細胞と細胞を接着させる膜貫通タンパク質。
【関連リンク】
・論文は以下に掲載されております。
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1017248108
http://library.naist.jp/dspace/handle/10061/6333(NAIST Academic Repository: naistar)
・以下は論文の書誌情報です。
Matsui, Takaaki; Thitamadee, Siripong; Murata, Tomoko; Kakinuma, Hisaya; Nabetani, Takuji; Hirabayashi, Yoshio; Hirate, Yoshikazu; Okamoto, Hitoshi; Bessho, Yasumasa. Canopy1, a positive feedback regulator of FGF signaling, controls progenitor cell clustering during Kupffer's vesicle organogenesis. PROCEEDINGS OF THE NATIONAL ACADEMY OF SCIENCES OF THE UNITED STATES OF AMERICA. 31 May 2011