2012/05/23
【概要】
約5億年前のカンブリア紀の末期に、我々人類の遥か遠い祖先の動物で全遺伝子の重複が起こり、その後の進化に大きく貢献したと言われてい る。しかし、重複した遺伝子がどのようにしてその機能あるいは働くタイミングや場所を変えて、背骨のある動物(脊椎動物)、そして人類が登場してきたの か。その道筋は謎が多い。
奈良先端科学技術大学院大学(奈良先端大、学長:磯貝彰)バイオサイエンス研究科発生ゲノミクス研究チームの荻 野肇チーム長と越智陽城研究員らは、生きた化石といわれるナメクジウオと、脊椎動物のカエルやマウスとの間での遺伝子の進化を調べるため、腎臓や眼、脳で 働く重複遺伝子の仕組みを詳しく比較した。その結果、それらを様々な組織で「ON」にするスイッチのDNA配列は重複した遺伝子の間で変化しておらず、そ の「ON」スイッチの働きを異なった組織で打ち消す「OFF」スイッチを後から別々に進化させることにより、重複遺伝子はお互いの働く場所とタイミングを ずらしてきたことを世界で初めて明らかにした。現在の生物の設計図の大まかな下絵が「ON」スイッチによって5億年前にできていたことにもなる。
遺 伝子DNAには2種類の情報が書き込まれていて、タンパク質の設計図になる部分と、そのタンパク質を受精卵から成長する過程でいつの時点に体のどこで使う か、その段取りを決める「スイッチ」の部分がある。スイッチには「ON」にしようとするものと「OFF」にしようとするもの(それぞれエンハンサーとサイ レンサーと呼ばれる)があり、遺伝子はこれらの組み合わせのバランスで、最終的に働くタイミングと場所を決めている。荻野チーム長らは、その組み合わせに ついて生物種による違いを解析することで、進化が「OFF」スイッチにシフトしていることを突き止めた。
これまでの遺伝子進化の研究は、 ONスイッチにのみ注目してきたが、本研究の成果はその考え方を大きく覆した。また本研究により得られた腎臓遺伝子の調節の仕組みについての知見は、多発 性嚢胞腎などの腎疾患の発症機序の解明とその治療に貢献すると期待される。この成果は、イギリス時間の平成24年5月22日午後4時【掲載雑誌のプレス解 禁日時:平成24年5月23日(水)午前0時(日本時間)】付けのNature Communications誌(Nature Publishing Group、イギリス)に掲載された。
【研究の背景】
ナメクジウオ(右図)は日本では瀬戸内海などに生息し、その一部は天然記念 物に指定されている。それは一見サカナに似ているが、背骨に相当する脊索という組織がある原始的な生物で、サカナやカエル、ヒトなど背骨をもつ動物(脊椎 動物)の遠い祖先に当たる。それでは、ナメクジウオのようなものから人類が進化してきた過程で、体の設計をつかさどる遺伝子はどのように変化したのだろう か。
その進化の過程では、全ての遺伝子のコピー数が倍に増える、「全ゲノム重複」とよばれる現象が5億年以上も前のカンブリア紀に起き た。これにより余剰な遺伝子が生まれて、その働き、あるいは体の中で働くタイミングや場所がいろいろに変わった結果、より複雑な体がつくられるようになっ たと想像されている。しかし具体的には、遺伝子構造のどのような変化によって、働くタイミングや場所が変わってきたのか、不明なままであった。
【研究の方法と結果】
こ の謎を解くため、pax2とpax8と呼ばれる2つの遺伝子に注目した。これらは全ゲノム重複によって生まれた双子の遺伝子であるが、カエルやヒトなど現 在の脊椎動物では、pax2が眼や脳、腎臓で働くのに対し、pax8は主に腎臓だけで働く。これに対して、生きた化石と呼ばれるナメクジウオは、全ゲノム 重複を経験していないので、pax2とpax8の共通の祖先遺伝子に近いものを1つだけ持ち、それはpax2と同じく眼と脳、腎臓の全てで働くことが知ら れている(下図)。
ナメクジウオの祖先型遺伝子とpax2とpax8について、それらの働く場所を決めるスイッチの部分の構造をトランス ジェニック(遺伝子導入)実験によって調べた。まず3つの遺伝子からONスイッチの働きをする部分を切り取って別の遺伝子(レポーター遺伝子)に連結し、 ツメガエルに組み込んで発現のようすを見たところ、いずれの場合もレポーター遺伝子が本物のpax2のように眼と脳、腎臓で活性化した。またそれらONス イッチのDNA配列も良く似ていた。しかし、pax8だけにOFFスイッチの働きをする部分が見つかり、これをpax8あるいはpax2のONスイッチと 組み合わせてレポーター遺伝子に連結すると、レポーター遺伝子は本物のpax8のように腎臓だけで活性化した。以上の結果から、pax2とpax8はいず れも同じONスイッチを祖先遺伝子から引き継いでいるが、pax8だけが眼と脳でONスイッチの働きを打ち消すOFFスイッチを付け加えて持つようになっ たことがわかった。
【研究の意義】
従来の進化研究はONスイッチの変化にのみ注目してきたが、それでは現実の重複遺伝子の働きの 多様さを説明することが出来なかった。これに対して本研究は、遺伝子が働く場所のおおまかな下絵がONスイッチよって5億年以上も昔の祖先動物で既に完成 していたこと、そして遺伝子のコピー数が増えた後に、増えた遺伝子が必要な場所(この場合は腎臓)だけで働き、余計な場所では働かないように、OFFス イッチが付け加わっていったことを明らかにした。
【今後の展開】
(1)OFFスイッチの研究を進めることによって、祖先動物の体の設計図がどのようなものだったのか、そこから個々の遺伝子がどう変わってヒトへ進化してきたのか、明らかにする。
(2)pax2の働きの乱れは、腎コロボーマ症候群や多発性嚢胞腎など、様々な遺伝性腎疾患の発症に関わっている。本研究により得られたpax2の働きを調節する仕組みについての知見は、これら疾患の治療法の開発に役立つ。
【関連リンク】
・論文は以下に掲載されております。
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms1851
・以下は論文の書誌情報です。
Haruki Ochi; Tomoko Tamai; Hiroki Nagano; Akane Kawaguchi; Norihiro
Sudou; Hajime Ogino. Evolution of a tissue-specific silencer underlies
divergence in the expression of pax2 and pax8 paralogues. Nature
Communications 3 Article Number 848 May 22, 2012