2017/09/04
NAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼのレドックススイッチ機構の構造基盤の解明
~タンパク質の構造変化による酸素および活性酸素種からの防御機構と
生物のエネルギー代謝システムの進化についての基礎科学的研究~
【概要】
兵庫県立大学大学院生命理学研究科/次世代水素触媒共同研究センターの樋口芳樹教授(科学技術振興機構CREST研究代表者、理化学研究所客員研究員(研究当時))、茨城大学大学院理工学研究科/フロンティア応用原子科学研究センターの庄村康人准教授、同大学農学部の西原宏史教授、奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科の廣田俊教授、東京大学大学院農学生命科学研究科の石井正治教授、九州大学大学院工学研究院/カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所の小江誠司教授らの研究グループは共同で、大型放射光施設・SPring-8を利用して、酵素の1つであるNAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼ*1,2のX線結晶構造解析*3(立体構造解析)を行った。
NAD+還元ヒドロゲナーゼの立体構造解明は、世界初の成果である。NAD+還元ヒドロゲナーゼは、水素酸化還元触媒ユニット(ヒドロゲナーゼ)とNAD+酸化還元触媒ユニット(ジアフォラーゼ)が合体した複合体酵素で、水素とNAD+の酸化還元をカップリングさせることができる。構造解析の結果、分子中の鉄硫黄クラスター*4の酸化状態の変化が引き金(レドックススイッチ*5)になって酵素の分子構造が変化し、これが酸素に対する防御機構と活性酸素種*6の生成を抑える分子機構に関連していることを見出した。また、酵素分子中で電子を流す鉄硫黄クラスターの立体配置が、ヒトを含む酸素呼吸をする生物の呼吸鎖電子伝達系で重要な酵素・複合体Ⅰ*7と酷似していることを見出した。
今回の研究成果は、酵素の酸素に対する防御機構と細胞における活性酸素種の生成を抑える分子機構の解明に寄与する重要な知見である。また、酸素呼吸および嫌気性生物*8のエネルギー代謝システムの進化的側面を解明した。
その結果はScience誌電子版(2017年8月31日付:日本時間9月1日午前3時、DOI:10.1126/science.aan4497)に発表される。
本研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)「ライフサイエンスの革新を目指した構造生命科学と先端的基盤技術」領域(研究総括:田中啓二 東京都医学総合研究所理事長兼所長)の研究費支援を受けて行われた。
【背景】
化石燃料に替わるクリーンエネルギーとして、期待されている水素を利用した燃料電池の原型が考案されたのは19世紀半ばであると言われていますが、太古より多くの微生物は水素から生育に必要なエネルギーを取り出したり、これとは逆に、余剰なエネルギーを水素として放出したりするシステムを獲得して利用してきました。ヒドロゲナーゼとよばれる酵素は、微生物の細胞内で水素の分解(酸化)や合成(プロトンの還元)を行いますが、単独ではたらくことはまれで、その多くは他の物質の酸化還元反応に関与する酵素と合体して1つの複合体として機能しています。今回の研究に用いたNAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼは、水素酸化還元ユニットとNAD酸化還元ユニットからなり、両酸化還元反応を組み合わせることにより、水素の分解と合成(およびそれにともなうNAD+の還元とNADHの酸化)のどちらも1つで行うことができる珍しいタイプのヒドロゲナーゼです。両ユニットはそれぞれ2つのサブユニット(タンパク質分子)から構成されているので、合計4つのサブユニットからなる複合体分子です。また、このタンパク質は、呼吸鎖複合体Iとよばれる、私たちヒトも含む酸素呼吸を行う全ての生物が持つ重要な膜結合性タンパク質の一部と、アミノ酸配列がよく似ていることが分かっていました。さらに、複合体Iは、老化やガンの原因となる活性酸素種を最も多く作るタンパク質であることも最近の研究で分かってきています。NAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼも酸素呼吸を行う微生物に見られることから、活性酸素種の生成に関与する可能性が考えられましたが、その詳細は不明でした。また、光合成生物によって地上の酸素量が増える以前(すなわち複合体Iが出現する以前)の太古の生物もヒドロゲナーゼを持っていたことから、複合体Iとヒドロゲナーゼの進化的関係についても注目されていました
【研究の成果】
今回、研究グループは、水素酸化細菌Hydrogenophilus thermoluteolus TH-1由来のNAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼの結晶化に成功し、大型放射光施設SPring-8*9の大阪大学蛋白質研究所専用ビームラインBL44XU、JASRI共用ビームラインBL38B1およびBL41XU、ならびに理研専用ビームラインBL32XUを用いてX線結晶構造解析を行いました(図1)。そして、世界初となるこのタンパク質の立体構造解析によって複合体Iとの詳細な構造の比較が可能となりました。NAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼは、分子中に合計5個の鉄硫黄クラスターと1個のNi-Fe活性部位を持っていました。本酵素に含まれる4つのサブユニットの一つ一つの構造は複合体Iの対応するサブユニットとよく似ていましたが、水素酸化還元ユニットとNAD酸化還元ユニットの位置関係は大きく異なることが分かりました。これに対して、両ユニット間の電子の通り道となる5個の鉄硫黄クラスターの相対配置はよく似ており、両酵素は最も効率のよい電子の通り道を作っていました。このことから,ヒドロゲナーゼの水素酸化還元ユニットと、これに相当する複合体Iのユニットは共通の祖先を持つが、大気に酸素が出現してからはそれぞれ独立に進化を続け、NAD酸化還元ユニットを獲得したことが示唆されました。一方、本酵素の酸化型と還元型の構造の比較によって、酸化型のNi-Fe活性部位*10はこれまでに例のない配位構造をとり、酵素が機能を失う原因となる酸素が接近できない構造をとっていることが分かりました(図2)。また、還元型では余剰な還元当量により活性酸素種が発生しないようNAD+還元部位が変形した構造をとっていました。このことにより、本酵素が酸素による失活を防ぐ仕組み(酸素耐性機構)の一端を解明することができました。さらに、両活性部位の構造変化は周囲の鉄硫黄クラスターの電荷の変化とうまく連動しており、鉄硫黄クラスターが単に電子の通り道ではなく、酸化還元状態を感知して構造変化を引き起こすスイッチ(レドックススイッチ)としての役割を持つことを見出しました
【今後の展望】
本研究が明らかにした、「ヒドロゲナーゼのNi-Fe活性部位が酸素による攻撃から逃れる仕組み」はこれまでに例がないもので、ヒドロゲナーゼおよびこれに類似する触媒の酸素耐性の一般則の構築鍵など、この問題を克服するための鍵になることが期待されます。また、複合体Iが生成する活性酸素種と老化やガンとの関係が指摘される一方で、活性酸素生成を防ぐ機構については理解が進んでいませんでしたが、今回我々が提唱したNAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼにおける活性酸素種の生成抑制の分子機構が大きなブレークスルーとなることが期待されます。
原論文情報:著者:Y. Shomura, M. Taketa, H. Nakashima, H. Tai, H. Nakagawa, Y. Ikeda, M. Ishii, Y. Igarashi, H. Nishihara, K-S. Yoon, S. Ogo, S. Hirota, Y. Higuchi
タイトル:"Structural basis of the redox switches in the NAD+-reducing soluble [NiFe]-hydrogenase".
Science 2017, doi: 10.1126/science.aan4497
【研究者の役職名及び氏名】
兵庫県立大学大学院生命理学研究科/次世代水素触媒共同研究センター 教授 樋口 芳樹(ひぐち よしき)(CREST研究代表者、理化学研究所 客員研究員(研究当時)),研究員 竹田 翠(たけた みどり),大学院生 中島 悠志(なかしま ひさし),中川 英恵(なかがわ はなえ),研究員 池田 洋子(いけだ ようこ)
茨城大学大学院理工学研究科/フロンティア応用原子科学研究センター 准教授 庄村 康人(しょうむら やすひと),農学部 教授 西原 宏史(にしはら ひろふみ)
奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科 教授 廣田 俊(ひろた しゅん)(CREST共同研究者),特任助教 太 虎林(Tai Hulin)(CREST研究員)
東京大学大学院農学生命科学研究科 教授 石井 正治(いしい まさはる),名誉教授 五十嵐 泰夫(いがらし やすお)
九州大学大学院工学研究院/カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所(I2CNER) 教授 小江誠司(おごうせいじ),カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所(I2CNER) 准教授 尹 基石(ゆん きそく)
【問い合わせ先】
【研究者】
兵庫県立大学大学院生命理学研究科 教授 樋口芳樹
電話:0791-58-0179,携帯:090-2110-1769,E-mail:hig@sci.u-hyogo.ac.jp
茨城大学大学院理工学研究科 准教授 庄村康人
電話:029-352-3239,携帯:080-5325-3392,E-mail:yasuhito.shomura.s@vc.ibaraki.ac.jp
【機関窓口】
兵庫県立大学播磨理学キャンパス経営部 次長兼総務課長 神頭由紀
電話:0791-58-0101,FAX:0791-58-0131,E-mail:u_hyogo_harima@ofc.u-hyogo.ac.jp
茨城大学広報室 山崎一希
電話:029-228-8008,FAX:029-228-8019,E-mail:koho-prg@ml.ibaraki.ac.jp
奈良先端科学技術大学院大学 企画総務課広報渉外係 田中
電話 : 0743-72-5026,E-mail :s-kikaku@ad.naist.jp
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 総務課総務チーム(広報情報担当)加藤 有央子
電話: 03-5841-5484,FAX:03-5841-5028,E-mail:koho@ofc.a.u-tokyo.ac.jp
九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所(I2CNER)支援部門渉外グループ 阿尾さやか
電話:092-802-6935,E-mail:wpisyogai@jimu.kyushu-u.ac.jp
国立研究開発法人科学技術振興機構 広報課
電話:03-5214-8404,E-mail:jstkoho@jst.go.jp
【参考画像】
NAD+還元[NiFe]ヒドロゲナーゼの水素酸化還元ユニット(HoxY+HoxH)とNAD酸化還元ユニット(HoxF+HoxU)はそれぞれ2つのタンパク質分子(サブユニット)からなり、複合体Iにはこれら4つのサブユニットと形のよく似たサブユニットが存在します(似たサブユニット同士を同じ色で示しています)。複合体IにはNADH酸化を行うユニットと、細胞膜にあるキノンと呼ばれる電子受容体を還元するユニットがありますが、上の図ではNADH酸化ユニット(Nqo1+Nqo3)と電子の通り道となる鉄硫黄クラスターを持つサブユニットのみ示しています。図のようにヒドロゲナーゼのNAD酸化還元ユニット(HoxF + HoxU)と複合体IのNADH酸化ユニット(Nqo1+Nqo3)が同じ向きになるように並べてみると、鉄硫黄クラスターの配置がよく似ていることがわかります。数字はクラスター間の距離をÅ(オングストローム=10-8 cm)で示しています。一方、ヒドロゲナーゼの水素酸化還元ユニット(HoxY+HoxH)と複合体Iのこれに相当するサブユニット(Nqo6+Nqo4)は、全く異なった位置にあります。