山田康之元学長を偲んで
本学名誉教授・元学長の山田康之先生は去る令和3年8月15日に89歳の生涯を閉じられました。一周忌が近づき、ここに生前のご業績を振り返るとともに、ご冥福をお祈りいたします。
山田先生は1987年に組織された「先端科学技術大学院構想調査に関する調査研究協力者会議」のメンバーとして本学の創立に尽力され、本学バイオサイエンス研究科教授を経て、1997年から4年間、第2代学長として先端科学技術大学院の理念の実現に向けて活躍されました。
学長室に飾られた自筆の座右の銘。「続座右之名並序」(白居易)より。【大意】千里の道も足元から始まり、高い山も微塵から起こる。わが道もこれと同じ。実践し、日々新たであることを貴しとす。
産官学に渡る幅広い人脈を通じて本学の第二ステージを推進し、入試制度の多様化、学生・教職員宿舎やミレニアムホールの建設などのキャンパス施設の充実化、留学生支援制度や事務系職員の海外派遣などの国際化、などを推し進められました。学長時代の入学式や学位記授与式における式辞や所感は、「富雄川の水絶えず」として上梓されています。2012年、文化勲章を山中伸弥本学栄誉教授と同時に受章されたことは、皆様の記憶に新しいことと思います。
文化勲章受章祝賀会にて。右は山中栄誉教授。SENTAN21号(2013年)より。
この栄誉以前にも、日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員、スウェーデン王立科学協会外国人会員、文化功労者などに選出されています。
山田先生は京都大学農学部の奥田東研究室(奥田教授は後に京大総長に就任)で、養分の葉面吸収と細胞系生体モデルの研究で修士号・博士号を取得されました。博士後期課程での研究途上で、特定の植物組織を単離し、試験管内の無菌条件で物質透過性を測定する実験系を立ち上げます。そして、その当時に報告され始めた植物細胞の無菌培養技術の将来性を確信されました。博士後期課程在籍途中で奥田研の助教に就任しますが、間もなく約2年半休職し、1962年からミシガン州立大学に留学されます。米国では、博士論文の延長となる実験を続ける一方で、州立大学の幾つかの研究室に出向き、植物組織培養手法を貪欲に習得されました。60年代は植物組織培養に不可欠な植物ホルモンの実体がようやく明らかになったころであり、日本で植物組織培養に取り組んでいた研究者は一握りでした。帰国後、1967年に助教授に昇任し、自身の研究グループを立ち上げます。同学部に生物細胞生産制御実験センターを創設するのに尽力され、1982年同センターの教授に着任されます。培養細胞がヘテロな形質をもつ集団であることに着目し、細胞選抜を繰り返すことにより均一な細胞系統を樹立しました。糖無添加培地での光合成のみによる光独立栄養細胞、色素や有色有用天然物の生産などの特性をもつ培養細胞などを用いて、植物生理学の基礎研究を行う一方、有用物質の高生産培養系の開発に取り組んでいます。特に、薬理活性のあるアルカロイドの生合成に関わる酵素とその遺伝子を培養細胞系統や毛状根を用いて発見し、アルカロイド代謝工学を世界に先駆けて開拓したことは国際的に高く評価されました。また、有用天然物の大量培養生産系の構築に国内企業と取り組み、数多くの企業から研究員を積極的に受け入れました。
山田先生は、農芸化学分野を基盤とし、植物生理学、生化学を専門として学術分野をスタートされましたが、すぐに有機合成化学、分子生物学、構造生物学、遺伝子工学などの幅広い学問領域を取り入れるように努められました。組織培養、遺伝子操作の技術をコアに、農学(農芸化学)、理学(植物生理)、工学(生物工学)、薬学(生薬学)などの複数の分野の研究者と積極的に交流し、我が国における植物バイオテクノロジーの基盤を作り上げたと言って過言ではないでしょう。山田先生は多くの海外の著名な植物科学研究者とも懇意にされていました。特筆すべきは、競争相手であれ、自身の専門とは異なる研究者であっても、非常に親密な関係を構築されたことです。専門的な研究内容だけでなく、交流相手の人格・人間性そのものに強い興味を持って共感し、素の自分をさらけ出すことによって、深い信頼関係が生まれたのでしょう。これは、相手の地位や職業に関係なく、非常に人間的でパーソナルな交流を重要視された山田先生の人生観とも言えます。
大学会館2階特別会議室に飾られた「青春とは」の額を前に。「青春とは、人生の特定の時期を指すのではなく、心の在り方を言うのだ。年齢を重ねるだけで老いはない。青春とは、紅顔と若い唇、強い脚力の問題ではなく、強い意志と高い理想、熱い情熱を言うのだ。<以下、続く>(サムエル・ウルマン作、山田康之訳)」
また、「良い・悪い」「好き・嫌い」の判断・嗜好が常に明瞭であり、物事を大きく動かすにはどこをどう攻めれば良いのか、大局的で的確な判断が下せる先生でした。歴史・時代小説を始めとする多方面の書籍を愛読され、文化・芸術に深い関心を持つなど、幅広い興味と知識を備えておられました。学長を退任後、国立科学博物館の支援を始めとして、日本文化・科学や地域への社会貢献を続けられました。
山田先生は自身の確固とした生きがいと他者への親密なる愛情をもって、生涯で出会う周りの人々を巻き込み、多くの人々の生き方に少なからぬ影響を残されました。飾らない山田先生の人柄が偲ばれるとともに、晩年になって前立腺がんとの闘病に悩まされながらも、人生に目標を持ち続けて、最後まで強い信念を持ち続けられた山田先生の生きざまに改めて感服する次第です。山田先生のレガシーは私たちの中に末永く生き続けることでしょう。
橋本 隆
教育推進機構 教育推進部門長
本学名誉教授
「富雄川の水絶えず」 山田康之 2001年3月16日発行(印刷・製本 株式会社春日)