データをもとに物質の特性をとらえ、自在に新材料を生み出す
デジタルとリアルの融合
新材料の開発には、複数の物性に関する解析を行い、要求を満たす候補物質を探り当て、そして、それが製品化されるまで膨大な時間と労力が費やされます。この課題を解決し、技術革新のサイクルを早める手段として、研究開発の過程にAI(人工知能)など情報科学を導入して自動化し、効率化する「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」のニーズが高まっているのです。今後、ビッグデータを手掛かりに、狙い通りの画期的な材料を短期間に生み出す可能性が大きくなっています。
藤井教授は「AIやシミュレーションなど、デジタル技術と物質の合成というリアルな技術を融合して、物質の特性を理解し、新材料を創ることを目指しています」と説明します。
その手法は、まず、目標の特性を持つ物質のデータについて、データマイニングという情報科学の技術により、幅広く国内外の公開データベースや発表論文から収集します。物質を構成する元素の組み合わせや結晶構造や分子構造のほか、物理化学的特性に関する電子の状態がわかる第一原理計算や量子化学といった理論的手法から得られたデータなどです。
次いで、新規物質を探索する段階では、これらのデータをコンピュータに読み込ませて、機械学習や深層学習といったAI技術を使って物性の予測モデルを構築します。このモデルを用いることで全候補物質の物性値を素早く予測することができ、最適な物質を探索する時間が大幅に短縮できるのです。
さらに、マテリアルズ・インフォマティクス研究室では、AIが予測した最適な候補物質を実際に合成して検証できるのが大きな強みです。実験結果がいまひとつ目的に沿わなくても、それを直ちに新たなデータとしてAIに再学習させ、予測の精度を向上させることができます。
「量子化学や第一原理計算は物性の傾向を捉えることは可能ですが、完全に実験値を予測するのは難しく、実際の実験データとのすり合わせを繰り返すことが必要です。その点、奈良先端大は研究室の教員が4人体制なので対応し易いと思います」と藤井教授は語ります。
機械学習のモデル構築に成功
藤井教授の最近の研究成果は、アクリル樹脂の原料であるメタクリル酸メチル(MMA)とスチレンなど他の分子が重合(ラジカル重合)してできる高分子(コポリマー)について、投入した分子のモノマー(単量体)のうち、どれだけの量がMMAとの重合体になるかという転化率や分子量といった高分子特性を、モノマー分子に関する情報と合成プロセスに関する情報から高精度に予測する機械学習のモデル構築に成功したことです。
また、このモデルは学習データの範囲外(外挿)の分子に関する領域でも、遷移状態や分子軌道など化学反応において物理化学的に重要な理論計算値を用いることで、予測の精度が向上することを突き止めました。MMAを用いたコポリマーは様々な用途が考えられるものの、その分子の組み合わせのパターンが多数あることから、すべてについて網羅的に特性を実験的に解析し、選択することが困難とされており、この成果は新規高分子材料の開発を加速することになります。
藤井教授は、「コンピュータのプログラミングにより、自分のアイデアを自由に具現化できる」ことから、シミュレーションやAIなどデジタル技術を使った研究に挑んできました。学生時代には理論化学的な研究を行い、東京大学大学院の助教時代には量子化学や第一原理計算を用いた研究を行っていましたが、次第にAIにも興味を持ちMIの分野に入りました。パナソニック株式会社に転職し、主任研究員などを務めたときには、全固体電池に使われる固体電解質のイオン伝導度の向上などを目指していました。
「社会の維持発展に結びつく研究をする」というのが藤井教授の信条です。東京大学助教のころ、東日本大震災を経験しましたが、研究者の立場から、救援や復興に直接的に関わる活動を見出せず無力感を抱いたことがきっかけでした。趣味の読書の範囲は哲学書や小説を含め幅広く、今は小学生の男児2人のための子育て本に熱中しています。
人工光合成を目指す
高山准教授は、光触媒を使い、太陽光エネルギーを水素分子(H2)に化学エネルギーとして蓄えることを目指して研究を続けています。「水素分子は燃えるときに化学エネルギーを熱として放出して水(H2O)になりますが、逆に太陽光エネルギーを受けて反応する光触媒により、人工の光合成のようにエネルギーを蓄積する方向にシフトさせるわけです」と説明します。
そこで、光吸収特性と元素との関係を研究できる光触媒を探索し続けたところ、見つかったのがタングステンブロンズ型結晶で、様々な金属イオン(陽イオン)を含ませたり、入れ替えたりできます。光触媒の設計に関する基礎研究にはうってつけの構造を持つ物質でした。現在、この結晶を用いた研究で培った知見を使った新たな光触媒の研究に取り組んでおり、可視光をよく吸収し、水を分解して水素を出す性能に優れた光触媒の開発に取り組んでいます。
高山准教授は「触媒の研究は、役に立つことが大切。水素エネルギーを安価に、化石燃料に頼らずに作れる触媒を実現し、さらに蓄積できるところまで進めて、社会に貢献したい」と語ります。
高山 大鑑准教授
データを同化させる
原嶋助教は、第一原理計算など理論計算で得られるシミュレーションのデータと実験データを突き合わせ、より確かな推測のデータを得る「データ同化」という手法の研究を手掛けています。「データ同化」は気象予報などに使われていましたが、原嶋助教は国内でMIの研究が立ち上がった2010年代後半から、いち早く研究に関わってきました。
「永久磁石や半導体について第一原理計算を研究していて、同じ材料開発の目的で研究しながらどうしても離れがちな実験研究者のデータと繋げることが非常に大切だと実感していました」と振り返ります。すでに新たな計算手法を開発していて「新材料の探索は、既存の実験データの範囲外(外挿)に出て行うもので、シミュレーションだと大幅なコスト削減にも繋がる」と強調します。「好奇心は幅広く持つ」がモットーで「学際的な共同研究を積極的に行うように心がけていて、常識が異なる研究分野を跨ぐことは大切だと思います」と語ります。
原嶋 庸介助教
電子ラボノート
高須賀助教は、藤井教授とともに、MMAの二元共重合体のフロー合成に関する研究を行っています。新たに取り組んでいるのが、データ駆動型研究の効率化を進める「電子ラボノート」。従来の紙の実験ノートを電子化するだけでなく、貴重なデータを厳重に一括管理したうえで、必要に応じて共有できるようにデジタル化のメリットを活かした工夫を重ねています。例えば、URLを用いてラボ内でデータを共有したり、電子ラボノートからプログラムを用いてデータを取得し機械学習に活用したり、電子化を駆使したデジタルとリアルの融合の実現を目指しています。
「データの記入の仕方でも、機械学習のプログラムに直接入力できるようにしたり、分野によってテンプレートを変えたり、様々なアイデアを考えるとともに、貴重なエラーデータも隠さず公表するなど、オープンマインドな環境づくりも必要です」と話します。
高須賀助教は、高分子材料系の企業に在籍しながら博士の学位を取得したあと、夢だったMIの研究への思いから「やるべきことはやりたい」と奈良先端大に赴任しました。日常もペンタブレットでイラストを描いたり、メタバースを主宰したり、デジタルの世界に浸っています。
高須賀 聖五助教
3人の社会人博士
研究室では、藤井教授が企業と大学で研究を重ねたこともあり、博士後期課程で学ぶ社会人3人が所属しています。
脇内新樹さん(JSR株式会社)は、共同研究者でもあります。主な研究内容は、高分子の重合反応において、溶液を分光分析したデータから、溶液中に含まれる複数のモノマーについて、それぞれの濃度を機械学習を使って自動的に推定することです。これにより、製造プロセスの効率化を目指しています。「会社では課題が事前に細かく決まっていますが、大学では自由度が高いです。研究室にいると、異なる分野の話も耳に入ってきて、とても刺激的です」と意欲を示しています。
高原渉さん(株式会社日立製作所)は、「人工光合成に使う光触媒を探索するため、MIを使う研究を行っています。会社ではMIに関するデータ分析、コンサルティング、講演などを行っています。企業の視点に加えてアカデミックの視点も取り入れて、産業界のニーズを満たすようなMI技術を開発したり、その技術を活用した革新的な材料を世の中に送り出したいと思い、社会人博士として入学しました。研究室には様々な分野のメンバーが在籍しており、日々のディスカッションがとても刺激的です」と語ります。
増田周弥さん(住友電気工業株式会社)は、「MIを活用した光電極探索の研究を行っています。私は元々情報系を専門としており、材料の知識はほとんどありませんでした。そのため、様々なバックグラウンドを持つ研究室メンバーとのコミュニケーションは大変ありがたいです。こういったコミュニケーションを通じて、材料と情報を繋げられる人材になりたいと思っています。会社に帰ってからは、新しいことにチャレンジできる職場環境を作っていきたいです」と抱負を話しています。
脇内 新樹さん(JSR株式会社)
高原 渉さん(株式会社日立製作所)
増田 周弥さん(住友電気工業株式会社)