環境ストレスに対する酵母の仕組みを解き明かし、産業応用への道を拓く
「『今がふるさと』の気持ちで常にベストを尽くす」
令和4年春の紫綬褒章を先端科学技術研究科の髙木博史教授が受章しました。この褒章は、学術、技術開発などの功労者が対象であり、分子遺伝学の島本功先生(故人、2012年受章)に次ぎ2人目の栄誉です。髙木教授は、細菌、酵母など微生物が環境ストレスに適応する仕組みを解明するとともに、発酵力が高い実用酵母の育種など産業応用に貢献した業績が認められました。幅広い視野で微生物の機能解明と有効利用をめざしてきた髙木教授に、受章に対する思い、研究の道筋、今後の抱負などを聞きました。
企業・大学でのすべての仕事が評価された
長年、細菌・酵母などを対象にした応用微生物学分野の研究の業績により受章されました。今、どのようなお気持ちですか。
髙木教授 応用微生物学の研究は40年間にわたり行ってきました。味の素に入社して中央研究所で初めて微生物と関わって以来、福井県立大学で11年、奈良先端大で15年と研究の場を移り、基礎・応用の両面から、さまざまな仕事に取り組んできました。それらすべての仕事に対して一定の評価をいただくことになり、お世話になった方々に大変感謝しています。また、研究で犠牲になってくれた微生物に対しても同じ気持ちでいっぱいです。
特に、応用微生物学の分野での紫綬褒章は比較的少なく、久しぶりに受章したこともあり、うれしさは格別です。また、これまでに受賞した専門分野の学会賞とは異なり、褒章はいつ誰がどのような基準で業績を評価してくださったかなど、推薦や選考の過程が一切明らかにされず、全く予想もしていなかっただけに、率直に喜びたいと思います。これまで研究環境が異なる職場を次々と経験しながら、その環境でベストを尽くしてきました。それをいつも誰かがどこかで見ていただいたことについて、自分としては誇りに感じています。 また、文部科学省から、内示の連絡があったのが、今年3月2日で、亡き父の誕生日だったことも印象深く心に残りました。
産業ニーズの中に基礎研究のシーズがあった
髙木先生の研究には応用微生物分野の幅広い業績がありますが、どのような成果が高評価のポイントになったのでしょうか。
髙木教授 応用微生物学は、微生物の能力や機能を明らかにし、その知見に基づいて人間社会や地球環境に役立つ物質の生産、技術の開発を目指す学問です。私自身は、細菌・酵母などの多様な微生物を用いて、細胞内で合成されるアミノ酸や生体反応を触媒する酵素の分子機能、さまざまな環境ストレスから細胞を保護する仕組みなどを見出し、解明しました。このような基礎研究の成果を活用し、アミノ酸の発酵生産やパン・酒類の製造に役立つ実用酵母の開発など産業利用を目指す応用研究に取り組むことで、研究成果の社会実装(香味性を高めた泡盛、健康イメージを意識した清酒、醸造期間を短縮したクラフトビールの商品化)に成功しました。こうした研究業績により応用微生物学の進展に貢献したことが評価されたようです。
基礎研究から応用までを見渡した研究の発想は、企業と大学の双方で研究された経験に基づくものでしょうか。
髙木教授 大学院の修士課程修了後、味の素に13年間お世話になりました。そのときに培った貴重な経験や人脈を生かして研究・教育を進めていこうと常に思っています。企業の研究所では、開発・製造現場における技術的課題の中に基礎研究として取り組むべきテーマも存在すると感じていました。例えば、冷凍パン生地の生産効率を高めるために、パン酵母には冷凍保存しても死なずに高い発酵力を保つ性質が求められるという産業ニーズに気づきました。そのことが、福井県立大学に移ってから、冷凍などの環境ストレスに対する細胞の耐性機構という基礎研究を始めるきっかけになりました。また、大学と企業の共同研究には2パターン(研究シーズ活用型、企業ニーズ解決型)ありますが、双方の立場を理解、尊重しながら、互いにメリットが得られるよう誠実な対応を重ねていくことが大切です。大学のようなアカデミアのみに在籍されてきた研究者に比べてユニークなキャリアパス(職務経歴)が自分の強みだと思っています。
地域貢献、海外展開を推進したい
今回の栄誉を踏まえて、今後どのように研究を展開されますか。
髙木教授 来年3月でバイオサイエンス領域の教授職は定年になりますが、可能な限り現在の研究を継続し、成果の創出とその社会還元を目指したいと考えています。具体的には、酵母やアミノ酸をキーワードに、国内外の企業や大学との共同研究を積極的に推進し、奈良や関西を中心とする地域貢献と北米を中心とする海外展開を行っていきたいです。さらに、酵母国際委員会(ICY)の会長を5年間務めた経験から、海外では清酒や泡盛のような酵母と麹(こうじ)菌の見事な共同作業による製法があまり知られていないことが分かりました。日本が世界に誇れる高度な発酵・醸造技術と酵母研究の優れた成果を世界にアピールするとともに、発酵・醸造食品の高付加価値化や海外ブランド化にも努めたいと思います。
多岐にわたる研究の過程で心の支えになった言葉はありますか。
髙木教授 これまでの研究の中で、企業での先輩からいただいた2つの言葉を大切にしています。1つは「今がふるさと」です。研究内容や職場が変わっても、いま所属しているところが原点と思い、毎日ベストを尽くせば、いつか周囲に認められる成果が得られるでしょう。もう1つは「労を惜しまず、時間を惜しめ」です。例えば、実験で対照区の数や設定に手抜きがあると、実験を正しく評価できず、再実験などで長時間費やしてしまうので、何事も妥協せず真剣に取り組むことを忘れてはいけません。
さらに、私たちが実験していたころに比べて、いまの若い研究者は、実験のキットや装置、外注・委託先などもそろっていて、多くのデータを早く出せるものの、その実験の原理や分析の仕組みが十分に理解できていないことがあります。微生物の実験に関していえば、仮説が正しいかどうかは、微生物が答えを出してくれます。予想通りの結果は出ないことが多いですが、得られたデータをフェアに見つめ、真摯に実験を積み重ねれば、決して微生物は裏切りません。思わぬ発見に出会うこともあります。若い研究者には、その醍醐味を経験してほしいですね。
米国野球に学べ
ところで、米国の野球などスポーツ文化にも造詣が深く、その視点から日本の科学技術発展の在り方について提言しておられますね。
髙木教授 もともとパワーがある米国のスポーツに関心があり、1986年にニューヨーク州立大学の研究員として米国に滞在した時に、野球の素晴らしさを実感しました。その後、アメリカ野球学会(SABR)に入会し、毎年春に発行される選手名鑑の翻訳なども手掛けながら、米国の野球を自分なりに研究してきました。最近では、日本の科学技術が米国野球に学ぶところをまとめて、日本農芸化学会の和文誌(巻頭言)に掲載されました。例えば、米国では選手間の激烈な「競争」の中で、即戦力ではなく長期的に個性・長所を伸ばす視点で育成しています。「共創」の面では、球団側が全データを投資対象として開示し、さまざまな提案を求めてオープンイノベーションにつなげているといった内容です。研究のリーダーとなる人材の育成やグローバルな研究連携などを推進するヒントになるかもしれません。
髙木博史教授経歴
- 1982年 味の素株式会社中央研究所研究員
- 1986年 米国ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校客員研究員
- 1994年 味の素株式会社食品総合研究所主任研究員
- 1995年 福井県立大学生物資源学部助教授
- 2001年 同教授
- 2006年 奈良先端大バイオサイエンス研究科教授
- 2018年 同先端科学技術研究科教授
- 2019年 同学長補佐