新型コロナウイルスワクチンの生産効率を高める、翻訳エンハンサーの開発
ニコチアナ・ベンサミアナを使ったワクチン生産
植物の細胞に遺伝子を導入し、医療などに役立つタンパク質を生産する「植物由来医療用タンパク質」の研究が盛んになっています。なかでも、新型コロナウイルスワクチンについては、カナダの製薬企業「メディカゴ」(田辺三菱製薬の連結子会社)が植物にウイルス表面のタンパク質を作らせ、これを免疫反応の抗原にするという新たな製法を開発し、作られたワクチンはすでに同国で承認されています。植物を使うので、安全性や製造段階での低コスト化、大量生産などの面で注目度が高い技術です。
奈良先端大の加藤晃教授は、メディカゴとの共同研究により、ワクチン生産の基盤技術の構築に大きく貢献しました。ニコチアナ・ベンサミアナに導入された遺伝子がウイルス表面タンパク質の遺伝情報を持つmRNA(メッセンジャーRNA)として「転写」され、細胞内で読み解かれてタンパク質が作られる「翻訳」という重要な機構があります。その翻訳速度(効率)を限界ギリギリまで高める「翻訳エンハンサー」として機能する塩基配列を突き止めることに成功したのです。この成果は共同出願して特許化されています。
※2月3日の報道によれば、田辺三菱製薬の事業撤退に伴い、メディカゴ社は清算される見通しです。
生産効率を高めるRNAの領域があった
今回の植物由来ワクチンタンパク質の製法は、まずウイルス表面タンパク質の遺伝情報がある遺伝子を細菌に持たせ、ニコチアナ・ベンサミアナの葉に感染させることで、目的遺伝子を細胞内に注入します。次いで、細胞内で転写されたmRNA分子の長く鎖のようにつながった塩基の配列にリボソームという構造体が結合し、遺伝情報に従ってアミノ酸をつないでウイルスの表面タンパク質(ワクチンタンパク質)をつくります。そのため、葉を刈り取ってワクチンタンパク質を抽出、精製するという低コストの工程になります。
その中でニコチアナ・ベンサミアナの葉に大量のワクチンタンパク質を作らせることは重要な課題です。加藤教授は、mRNAの長い塩基の並びの端につながっているものの、アミノ酸を指定しない非翻訳領域(5’UTR)にリポソームが結合したあと、タンパク質への翻訳が開始されることに着目しました。「数多くリボソームが結合して重くなったmRNAほど翻訳が活発に行われている」と考えたのです。このため、細胞からリボソームが結合したmRNAを抽出し、万単位に上るmRNA種を超遠心機で重さの程度により分離します。このあと、mRNAの塩基配列を次世代シーケンサーにより網羅的に読み取り、重たい区分にあるmRNAの5’UTRの塩基配列の情報を取得します。そのデータを人工知能(AI)の機械学習により解析し、もっとも効率が高い塩基配列を予測するという方法で開発しました。
「植物の種類によって翻訳マシーンであるリボソームが好む5’UTRの塩基配列が異なるので、この手法を使って調べられます」と加藤教授。「今後は翻訳の効率を高める研究だけでなく、mRNAが分解されずに安定して働くなど各段階での効率を最適化できるような塩基配列を突き止め、遺伝子全体でもっともよく機能する人工遺伝子の設計をめざしています」と抱負を語ります。
積極的なアプローチ
このような成果が生まれた共同研究は、加藤教授が約8年前の助教時代に行った積極的なアプローチがきっかけでした。メディカゴが植物による医療用タンパク質生産の研究を始めたと知り、親会社の田辺三菱製薬に出向いて、「5’UTRの塩基配列の改変によりタンパク質の生産効率が高まる」という自身の研究をプレゼンテーションしました。しばらくして、メディカゴから、「すでに加藤氏の研究論文を読んで確認の実験をしている」との連絡が入り、共同研究の話がトントン拍子に進んだのです。
一方、研究材料のニコチアナ・ベンサミアナの葉をカナダから輸入するときには困難に遭遇しました。当時、ニコチアナ・ベンサミアナは輸入禁止品であったため、輸入するためには農林水産大臣の許可が必要でした。加藤教授は、農水省に提出する許可申請の書類を何枚も書いてようやく輸入できましたが、実験終了後はすべて廃棄することが義務付けられました。
試験管内でタンパク質を合成
また、加藤教授は、生物が細胞内で遺伝子からタンパク質を生成するシステムをまねて、遺伝子の転写やmRNAの翻訳に関わる酵素などの物質を試験管内に移し再現する「無細胞タンパク質合成」の研究も手掛けています。生物を育てることなく有用なタンパク質が直接得られるので、将来的には医薬品や食料生産のコスト削減、SDGsへの貢献が期待されています。
加藤教授は、コムギ胚芽由来の酵素活性が高い抽出液を使う合成系について、ベンチャー企業と共同研究を行いました。その結果、翻訳エンハンサーを最適化することでGFP(緑色蛍光タンパク質)の収量を従来の約3倍に増やすことができました。この成果は、無細胞タンパク質合成の試薬として製品化されています。この共同研究は全国の大学の研究シーズを紹介するイベントで、加藤教授のポスター展示を見たベンチャー企業からの申し出がきっかけでした。
「無細胞タンパク質合成は発展途上の技術ですが、付加価値の高い医薬品などを作りながら進めていく。例えば、細胞を増やして作る培養肉が高価なのは添加する成長ホルモンが高いからで、それを安価に合成すればいい。最初からスーパーカーを目指すより、その前に地道な研究で確かな技術にしておくことが大切でしょう」と語りました。