高機能の半導体デバイスで人工視覚を開発、医療応用への道を拓く
令和6年春の紫綬褒章を奈良先端科学技術大学院大学の太田淳理事・副学長が受章しました。この褒章は、学術、技術開発などの分野に貢献した功労者が対象です。本学では、分子遺伝学の島本功先生(故人、2012年受章)、髙木博史研究推進機構特任教授(2022年)に次ぎ3人目の栄誉となります。太田理事・副学長は、高機能のイメージセンサーの開発、病気で視力が低下した人のための人工視覚など半導体技術の新機軸を拓いてきた業績が認められました。太田理事・副学長に受章に対する思い、研究の道筋や異分野交流の成果、今後の抱負などについて聞きました。
さらなる研究の展開を図りたい
――紫綬褒章を受章されました。今どのようなお気持ちですか。
太田理事 受章の連絡をいただいたときは、あまり信じられない感じで、狐につままれたような気分でしたが、褒章の伝達式が終わり、ようやく実感が出てきたところです。他にも優れた業績の先生方がおられる中での受章は、大変ありがたいことだと思っています。これまで研究室のスタッフをはじめ、学内外の多くの研究者の方々のご協力、ご支援をいただき、受章に結びついたと感謝しています。
現在、理事・副学長を務めており、大学運営の仕事に取り組んでいます。また、物質創成科学領域光機能素子科学研究室の教授職は、今年3月末で定年退職し、新たに本学研究推進機構の共同研究室「次世代生体医工学研究室」で研究活動を始めました。人工視覚や生体内埋植イメージングデバイスなどが研究テーマで、受章を糧に新たな研究の展開を図っていきたいと思います。
異分野との交流が成果を育む
――今回の受章では、世界初の方式の人工視覚の開発など半導体集積回路の研究を新たなイメージング(可視化)装置の作製に展開し、バイオサイエンスや医療の応用にまで結びつけたことが高く評価されました。なかでも、人工視覚は、半導体により、画像を構成する光の強度を電気の周波数の信号に変換してデジタル化し、眼の網膜の視細胞を刺激して視覚を再建する仕組みで、日常生活が可能なレベルの視覚を実現する「分散型刺激電極方式」の装置も開発されました。振り返って、業績を築かれた研究の軌跡や医学分野の研究者らとの交流について教えてください。
太田理事 思い入れが深い研究は、本学に赴任して2年後の2000年に着手した人工視覚の研究です。それまでは三菱電機株式会社で「人工網膜LSIチップ」を開発していましたが、生体については全く研究で扱ったことがなく、「生体の中で半導体チップをどのように調和して機能させるか」という課題について検討していました。
人工視覚の研究について、本学に移って暫くして学会で講演したところ、医療機器メーカーであるニデック株式会社から「NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の研究プロジェクトがスタートするのでコンソーシアムを組みませんか」と誘いがありました。その時、コンソーシアムのメンバーで、大阪大学医学部眼科学の教授だった田野保雄氏(故人)と出会い、私にとって未知の分野だった医療研究の取り組み方を知ったことから、日常生活に適したデバイスの性能など患者に寄り添った開発を一層心がけるようになりました。また、生体の中で半導体チップをどのように調和して機能させるかということがある程度わかってきました。
人工視覚プロジェクトが軌道に乗った頃、本学バイオサイエンス研究科の塩坂貞雄教授(神経科学、現大阪精神医療センターこころの科学リサーチセンター長)と話し合う機会があり、塩坂教授から「ネズミの脳の中にセンサーを入れて、撮像する方法はありますか」と尋ねられ、「半導体チップを生体内に入れることはできますが、脳内に入れてネズミは生きていられるでしょうか」と問い返したところ「超小型センサーなら大丈夫」との返答を得ました。そこで、我々の研究室で作製した超小型センサーを塩坂研究室のスタッフとともに実際にネズミの脳内に埋植したところ、ネズミは元気に走り回り、その状態で脳内を撮像することができました。この成果が、網膜に電極チップを埋植する方式の人工視覚の実現を確信することに繋がりました。
脳機能を光で制御
――こうした人工視覚の研究などをもとに、脳内に光を発する半導体デバイスを埋め込み、パーキンソン病など脳疾患の治療に役立てるための「高機能光刺激デバイス」の研究も進められています。
太田理事 網膜の視細胞に含まれる光感受性のタンパク質を脳の神経細胞など特定の細胞に発現させ、その細胞の機能を光の刺激で制御する「光遺伝学」という分野の研究です。我々が開発した半導体集積回路と発光する青色LEDを組み合わせたデバイスは、脳内で光を発してこの光感受性タンパク質を発現した細胞を刺激し制御するとともに、反応した細胞の活動の様子を計測できます。疾患に関わる特定の細胞を制御し治療に役立てることも考えています。
この研究では、京都大学大学院医学研究科の伊佐正教授(高次脳科学)との出会いがあり、我々のデバイスを使い、サルが報酬を得るためにリスクを取るかどうかの意思決定をする脳神経回路の部位を突き止めた成果は、米科学誌「サイエンス」にも掲載されました。
こうした一連の研究から、生体に埋植した半導体デバイスが病気の診断や治療も行うという意味の「フォトシューティカル(光で薬の役割をする)デバイス」という言葉を作り、半導体デバイスの医工学研究を進めようと学会などでアピールしています。
鶏口となるも牛後となるなかれ
――新たな研究の場になる「次世代生体医工学研究室」ではどのような研究を進められますか。
太田理事 人工視覚では、半導体デバイスの電気刺激で視覚を再建しましたが、さらに「光刺激デバイス」を使って光で脳機能を制御し、医療応用に役立てる研究を続けます。研究室には大学や企業からの研究員が所属します。これまで生命工学の分野から研究をサポートしてくれた、私の妻である太田安美・博士研究員も加わっています。半導体と生体が調和し、医療応用などに貢献するというテーマに一体となって取り組めると思います。
私は大学院を卒業して企業に入り、15年間勤めたあと、本学に赴任しました。企業研究の取り組み方が刷り込まれていましたが、本学に来て、自由にテーマが選べ、長期のスパンで研究できたり、さまざまな大学、企業と交流できたり、特に異分野の研究室との距離が近く、日常的に話し合える環境が自分独自の研究の方向を見つけるうえで役立ちました。これからの若い学生、研究者は、大勢の研究者が関わる大きな研究テーマに挑んでも、その中で自分の道を拓いていく「鶏口となるも牛後となるなかれ」の精神を忘れないでほしいと思います。
太田淳理事・副学長の経歴
1983年 東京大学大学院工学研究科物理工学専攻修了
同年 三菱電機株式会社入社
1998年 奈良先端科学技術大学院大学物質創成科学研究科助教授
2004年 同教授
2018年 同先端科学技術研究科物質創成科学領域教授
2021年 同理事・副学長